8月18日は母の命日でした。
あの時、どうしても忘れられないできごとがあったのです。
4年前の夏の朝、母が入所していたホスピスから連絡を受けて、駆け付けると、
がらんとした白い部屋に置かれたベッドに母が横たわっていました。
酸素マスクを付けた母の規則的な呼吸音だけが静かに響く部屋で、枕元に座り、
「早く誰か来て!!」と思っていました。
末期の脳腫瘍だった母は、幸いにも痛みを感じることなく、呼吸が止まって静かに
逝くだろうと主治医から言われていたので、家族にとってはそれがせめてもの救い
だったのですが。
親戚がほぼ揃ったのがお昼頃。
父が、母が元気だったころに仲良くしていたあの人を呼んだほうがいいだろう、(彼女は車の免許をもっていない)miyuki、行ってくれと言われて…。
正直、この状況でどうして私がここを離れなきゃいけないんだろう?と思ったけれど
父には逆らえず、車を走らせ迎えにいったのです。
そして、ホスピスに戻ったときには、母は息をひきとっていました。
茫然と立ち尽くす私に「ごめん」と泣きじゃくる彼女。
告知を受けてから、「死に目には立ち会える」と信じて疑わなかった私。
毎日病院、ホスピスに通い、母をずっと見てきた自分がまさかその時にいないなんて。
しばらくは釈然としない気持ちを父に対して持っていました。
あれから4年。
今もその思いが完全に消えたわけではないけれど、少しは自分を納得させるように
なりました。「当然できるだろうと思っていることでも、そうならないこともある」と…。
母は、私に自分が逝くところを見せたくなかったのかもしれない。
最後の手術の前、入浴の介助をしていた私に「そんなふうに見られたら恥ずかしい」と
照れた母。そんなつもりはなかったけれど、凝視していたのかもしれません。
術後1ヶ月をすぎたころから、だんだん意志の疎通ができなくなり、痴呆のような
状態になって、「私の知ってるお母さんじゃない」と思って悲しかったあのとき。
そんな私を見兼ねて、母はそっと逝ったのかもしれない…と思うようになりました。
お母さん、元気だったあの時「お母さんは優しくないよね」なんて言ってごめんね。
今は、わかるよ。お母さんの優しさが…。